2015年9月6日日曜日

幽遊白書 思う所があって。

幽遊白書を動画で観ました。もちろん、アニメ全話。

ここで語りたいのは、コエンマに関する個人的な雑感です。(このページの中間あたり)

幽遊白書は、私が当時小学生時代にリアルタイムでやっていたアニメですが、習い事の時間と放送時間が重なって視れなかったのと、ジャンプコミックス単行本の後ろの広告ページに載ってた幽遊白書の登場人物1カット絵を見た事はあったのですが、興味を持てないでいた低学年でした。

「格闘マンガ」の様な内容を思わせる文と「不良キャラ」の人物像が、当時の自分にはどうも観る気には至りませんでした。

けれど、つい最近、Youtubeを見ていたら幽遊白書が目に入り、何気なく1話を見てみた。本当に何気なく。

…気が付いたら全話観終えてました。色々ツッコミどころが満載でしたが、良いお話でした。
適当な表現が上手く出来ないのですが、ジャンプ黄金時代を代表するキチンと「少年マンガ作品」らしい物語だったんだな、と思いました。

初めて1話を観た時は「ああ、コメディ路線の漫画だったのか。王道ジャンプと言うよりも、コロコロっぽいな。」とか何とか思いつつ楽しんで少年漫画アニメを観ていましたが、気付いたら何故か主人公が探偵業では無くて世界を救う「バトル漫画」の主人公と化しているではないですか。

展開が早い。

「キャラクターたちの成長物語」に物語の内容はシフト、その内容がまた濃くて、中弛みはしませんでした。

トグロと玄海の闘い
主人公が誘拐されてしまったテリトリーの話
仙水に関する過去話
魔界に関心が出来てしまった主人公の心の葛藤
蔵馬・飛影も魔界へ行く事になり三大勢力同士闘う事になるのかどうか

…といった暗鬱な雰囲気が「これは人気が出るはずだ。」と思いながら観入ってました。

因みに、魔界トーナメン大会での各々の格闘エピソードや最終回への結びは、アニメオリジナルだと後から知りました。「優秀なアニメスタッフによって最後までキチンとした作品」に仕上がったアニメが観れて、幸せでした。

とは言え、一気に観たあと、所々違和感を抱きました。

・ところで妖怪わんさか居過ぎじゃないか?
・あの姿で人間界皆住んでたの?
・妖魔街の彼らが人間界に移住を要請した時、あんなに驚いてたけど…後々の事を考えると驚き過ぎじゃない?
・おしゃぶりの効果、使うべき深刻な状況が何度かあったろうに。
・特防隊、穴が広がる前に出動させないの?
・雪菜も孤兎もD級だろうけど、A級S級がいるあの魔界のエリアに住んでるの?人間界と行き来できるまでに、よくA級S級に襲われんな。
・樹を飛影と同様の理由でコエンマは霊界探偵のパートナーに許可したんだろうけど…人選、見抜けなかったのか…。(だから、3代目の時は飛影は前科無しと人格者の蔵馬とセットにしたんだろうけど)
・テリトリーの3人組は玄海の存在をどうやって知ったの?

…以上の諸々は「別にただのアニメにガチで考える事ないじゃないの。」と思いたいのですが、ハンターハンターの原作者ってディテールがこんなに甘い人だったっけ…と。

それから、原作の感想掲示板を読んで、放送コード面から、表現回避・NGワードに触れるエピソードカットなど、原作とアニメとは違う事は知りましたが…。

そうした事情抜きに私が疑問を抱いたのは特に「キャラクターの設定」です。
※決して未成年が法に触れる箇所のキャラ設定云々という訳では無くて。

キャラクターの設定以外にも、上記にざっと挙げただけでも幾つか見受けられたし、「もしかして後付け設定してるんじゃないか」、と思わざるを得ませんでした。

※因みに、某掲示板にも、「後付け」と思う人は居る様で、「疑問に感じたのは私だけじゃあないみたい。」と思いました。

原作者が、徐々に精神的に参ってしまっていた事情は有名でしたので知っていましたが、つじつま合わせや解説の挿入や読み手の理解力の把握もできないくらいだとしたら、「人気があった分、勿体ない作品」、と感じずにはいられません。

「後付け設定」と割り切るようじゃないと、こうも強引な展開にはならないよな、と個人的に思わざるをえなかったのが、繰り返しますが、やはりキャラクター設定でした。

何度かyoutubeで観返しましたが、やっぱり…。で、一番私が思う所があったのは、「コエンマ」。

正直言うと、突然「コエンマの人間界バージョンのキャラ」にハマりました。

何でこんなに惹かれてしまったのか。しかも2次元に。一体どこで、どの登場シーンで、どんな台詞で。色々考えましたが、幽遊白書の違和感の中の一つ、「キャラ設定の後付け」と思わざるを得ない点に、良くも悪くもコエンマに惹かれたのが原因でした。

結論から言うと、性格が大幅に変わった事です。

「年長者なりに仕事に真面目ながらもいけ好かない美青年」が、いきなり「責任の重さを実感した影のある美青年になった」あたりからでしょうか。この「いきなり」がディテールとしてどうなのかと思う所が強く感じました。

そして、良くも悪くも「キャラ崩壊」したと個人的に思ってしまった理由や、キャラ設定に関する所感を以下に書いてみました。

そもそも、彼は登場人物たちの上長として、要領の良い監督者という立場から、罪悪感や自己犠牲に走り、職務放棄・棄権に至るまで、「性格上、そんな思考に至るようなタイプじゃないだろう」と都合の良さに呆気にとられてしまいました。いうなれば「更生」に近い感じでしょうか。

具体的には、

1話からトグロとの闘いあたりまでは

・統治者代理の職位
・部下の管理
・人間の子どもを仕事の代理人とするオーナー
・立場上、物事を割り切って判断・対応
・自己優先的な行動・判断(不手際による主人公へ強引に仕事の指示・ジョルジュとの絡み)
・表向きと本音の乖離
・利己的な発言や行動(特にジョルジュに対してはハラスメント)
・お茶らけに部下を巻き込む(特にジョルジュ)

といった、リアリティを感じずにはいられない管理職のくたびれた人物像を、漫画やアニメらしく赤ちゃん・美青年が演じていた訳です。

しかし、テリトリー話から仙水と魔界へ突入あたり

・自己犠牲
・父親への反抗
・人間の子ども達(主人公)の心のケア
※部下のお茶らけを睨み、叱る(特にジョルジュ)
※部下や主人公以外にもフランクに接する。

と、ぼたんの様に情の脆い訳では無くて、以前と比べて立場上、仕事だからと目の前の問題を割り切って対応せずに「勢い」や「信念」で生真面目に行動している様に感じました。

それが、私にはどうしても「コエンマが精神的に成長した」という理由には結びつかなくて。
仙水じゃないですが、価値観が変わり過ぎで、繰り返しますが「性格上、そんなキャラになるか?」という点です。

真面目なシーンでコエンマの性格が顕著に見受けられた箇所が以下の通り。

魔界の穴が開こうとしている、と部下のあやめが報告した辺りに、コエンマは「一体誰が」のあと目を大きく見開いて、次のカットにはぼたんを通じて人間界・霊界・魔界についての説明と阻止する指示を下した訳だけれども、その時には、既に仙水の仕業だと気づいていたと思う。
けど、「確証は無いし、信じたくなかった」という理由で思い当たる名前を挙げずに仕事を指示。

後に、蔵馬に指摘されても、シラを切る、「信じたくなかったから」と煮え切らない態度の中で、阻止の指示を数話まで継続していました。
※資料室で何を調べていたのか、触れていなかったけれど、「黒の章」が紛失したのは仙水が消息を絶ったと同時に把握していたわけだから、「黒の章」の有無の確認をしていた訳では無いと思う。

病院での事件の最中でも、あやめに指摘されても「みなまで言うな」と、昔に思いをふけっていた。
後に見せる自己犠牲的な反省や罪悪感は想像つかない程、まるで他人事のように割り切った気分で、過去の痛い出来事に頭を悩ます様子。

で、「黒の章」が人間界で使われていて、実際に観てしまった人間が何人かいると知り、ようやく腰を上げたコエンマ。

ここまでは、1話からトグロとの闘いまでの、要領よく立ち振る舞う管理職を見事に体現していると思う。

主人公らに仙水の過去話も淡々と告げ、実際に仙水と10年ぶりの対面しても、複雑な表情(バツが悪そうな表情)は見せるも、アニメでは「挨拶出来た義理か」と言い切りました。

がしかし、実際に目の前でマンション前で仙水と主人公が闘うシーンを見て、さらに部屋では部下のぼたんが怪我をして、何人もけが人を出して、「これはマズイ」と覚悟を決めて閻魔大王に「おしゃぶり」を取る許可を貰います。

そして、例の「共に地獄へ堕ちよう」の台詞。

高みの見物から、現場目線になっただけで、こんなに性格が変わるものなの??

コエンマの心境の変化は、このマンション前での出来事や部下たちの事故・怪我によるものとしか思い当たる所は無いし、或は、コエンマの心境の変化がボルテージ形式で一定の値を超えさせる「後押し」のきっかけだったのかもしれないけれど…ガラっと変わり過ぎではないかと感じました。

原作では更に、主人公抹殺の指示に拘る閻魔大王に疑問を抱き、また大胆な行動に出ていると言うではないですか。何だか、いきなりコエンマが変わり過ぎて、「極端から極端に走った」という表現は、彼にこそ当てはまるんじゃないのだろうか、と思ってしまいました。

今後、彼は今までのキャラクターとは少し離れた性格になる訳だから、何故彼が父親を告発する程にまで正義感に燃える人物に至ったのか、もう少し、変化の過程を飛ばさずに、表情や言動、所作でも良いから丁寧に描いてほしかった。

トグロ戦の話の中で、玄海の死について、ぼたんが落ち込んでいる様子や、玄海に関して静流が「あの人、サバサバしてる所、あったでしょう。」と、玄海の死に関して周囲の様子や乗り越える様をきちんと工程を描いていた様に。

玄海の死も、コエンマが保身に走らず今後は最善を尽くす為に走り続ける姿勢になったのと同様、エピソードには欠かせない要素であるし、きちんと周囲のキャラクターなり表現で丁寧に拾ってあげて欲しかったとは思いました。

また、ハンターハンターだったら、主人公の心境の変化や突飛な行動を、周囲のキャラクターたちが、読者に解説する役割を果たしている訳で。

という訳で、繰り返しになりますが、コエンマはその後の世界を変えるキーパーソンの1人を担う立場なので、彼の性格や心境の変化、或は成長かもしれないけど、その辺りをキチンと解説するキャラクターやナレーションがないと、「キャラが変わってるw」になると思いました。

唯一、閻魔大王がコエンマからの手紙を読んだ際に「子どもだと思っていたが、いつの間にか成長して(だいたいの主旨)」みたいな事を呟いたシーン。そこ位かしら。
閻魔大王の告発をアニメでやらなかったからあえて深堀しなかった訳でも無いだろうし。

けれど、彼のそれは「成長」の一言で片付く変化では無いと思う。

要領よく割り切りながら真面目に仕事をこなしつつ、無茶振りな仕事を人間の子どもにさせて、自分の時間を上手く作る。

そんな彼が、彼の中の優先順位が「閻魔大王(父親の顔色)」から「自分の正義を通す事」にシフトチェンジする事が成長というのなら、もう少しコエンマの心境の変化を深堀して描かないと、やはり「キャラ変わってるぞ」の一言で終わるパターンだと思う。

という事で、少なくとも、黒の章が関わっていた事と、仙水の過去話を皆に直接話していた所まで「あわよくば、上手く行って欲しいけど、油断するな。自分もそっち行くわ。」と言った今ひとつなスタンスだった心境からぼたんに「一度霊界に戻る。あとの事は頼んだぞ。」の間に起きた「彼の覚悟を決めた重要なカット」を書かないと…。

じゃないと、憔悴しきったコエンマ、覚悟を決めたコエンマ、年長者として直接ガチで主人公を労わるコエンマ、「良い奴らだな」とふと心根を呟くコエンマに、違和感ありまくり。「泥臭くもご立派な」人格者なインパクトが強すぎ。

こんなギャップルール、ありなの?

という事で、コエンマにハマった理由は、最初にも述べましたが、いけ好かない美青年が、「いきなり」責任の重さを実感した影のある美青年になったからです。

キャラ設定の後付け疑惑は私の中で拭えませんが、後からコロっとキャラを変えるのって良くも悪くも本当にズルいと思う。

…書いていて思ったのは、他人の為に骨を折るようになった飛影の方が親近感がわくという意味で好きかもしれません。彼こそ「成長」したキャラと言えるんじゃないのかしら。

生育環境なんて無く生い立ちが壮絶で、承認欲求を闘いを通して満たして行き、ついには妹や躯のアレコレを諭す位の漢になった訳で。

以上です。

…何、真面目に感情的に語ってるんでしょうね、私は。同じことをくどくどと。クドいですね。

絶対的な職位を持ち、大勢をマネージメントする立場のキャラクターが、こんなにも性格がガラッとシフトチェンジしてしまう事と、してしまった事で、その人(人じゃないけど)の印象や心象までガラっと変わる事に、衝撃を受けたわけです。何でこの2次元にここまで惹かれたんだろう…という原因が解って良かった良かった。

…色々ありますが、コエンマ、好きだし、飛影も良い奴ですね、恐らく今後も気持ちは変わりません。

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